1H NMRスペクトルを読めるか読めないかで、研究の進み方が全然違います。特に、精製前の混合物のスペクトルから、目的物質や予想外の反応生成物のシグナルを見つけ出すことができる程度の『推理力』は、有機系の研究を行う上で絶対に必要な力です。
研究室に入ったら、必ず、1H NMRスペクトルの基本について、もう一度、おさらいしてください。オススメは、KHAN-ACADEMYの1H NMRのコースを一通り視聴することです。無料なのに非常にわかりやすく解説されていて、1H NMRが他のスペクトルに比べて、いかに多くの分子の情報を私たちに与えてくれるかがよく分かると思います。
以下のチェックボックスを利用して、自分がすべて勉強し、理解したことを確認してください。
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□ Introduction to proton NMR
□ Nuclear shielding
□ Chemical equivalence
□ Chemical shift
□ Electronegativity and chemical shift
□ Diamagnetic anisotropy
□ Integration
□ Spin-spin splitting (coupling)
□ Multiplicity: n + 1 rule
□ Coupling constant
□ Complex splitting
□ Hydrogen deficiency index
□ Proton NMR practice 1
□ Proton NMR practice 2
□ Proton NMR practice 3
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ちゃんと理解しているかどうか?の確認については、城西国際大学薬学部の先生が提供されているこちらのワークシートで確認してください。これがスラスラできない状態で1H NMRを測定しても、得られる情報の1割も得られていないということになろうかと思います。
また、NMRを実際に測定するにあたっては、試料調製の仕方など基本的なことを一度確認してください。岡山大学のNMRと異なる機種ですが、東邦大学のe-lerning は一度見ておくと良いかと思います。
さらに、一歩進んで、NMRを使いこなしたい方は、名古屋大学の山下 誠 先生の資料はとても参考になります。リンク先の「有機分析化学特論の第4-9回資料」に一度目を通してください。
そして、実際に実験する際には、以下に示す【1)実験の心得(NMR編)】と【2)既知データの利用】の2つを心にとめておいてください。
1)実験の心得(NMR編)
- 反応前のNMRを測定する。反応前の原料に不純物が含まれていることも珍しくない。
- 反応後のNMRを測定する。カラムなどの精製前の段階で、NMRを測定しよう。カラムで壊れてしまう化合物だってある。混合物のスペクトルだって、慣れれば、目的物があるかどうかが分かる。
- 精製後のNMRは、目的物以外についてもすべて測定する。副生成物から、反応の様子を想像し、反応条件を最適化したり、面白い反応を発見したりすることが、有機化学の醍醐味である。
- 何をおいてもNMRを測定する。NMRは、基本的に非破壊で回収可能な測定方法なので、まずはこれを測定すれば良い。他の測定法は後回しだ。
- 間髪入れずNMRを測定する。不安定な化合物は、時間との勝負。反応直後、精製直後のスペクトルを見ないと、できているけど分解したのか、そもそもできていないのかが分からない。逆に、間髪入れずに測定していれば、その後、分解するかどうかの安定性の情報まで得られるからお得だ。
- 1H NMRだけでなく、DEPTや13C NMRも測定する。1H NMRの後、DEPTの測定を始めて、とてもではないが使い物にならないと感じたら、測定を途中で止めれば良いだけなので、測定しないなんてナンセンス。一回の実験で、どれだけ多くの情報を得るかが大切。
- NMRチャートは最高に美しく仕上げる。位相や積分が「雑」だと、情報量が落ちる。情報量が落ちると心が荒む。だいたい、「こうかもしれない?」と悩むより、きれいなチャート一発で悩み解決した方が良いに決まっている。
- NMRチャートのうち、大切なところは拡大する。拡大して始めて気付くようなカップリングが突破口になることもある。「拡大したけど見えませんでした」ではなく、「拡大したチャートはこれですけど、残念ながら見えていません」と言おう。
- 勝負チャートは一期一会。1H NMRで、論文に掲載できるレベルの美しいチャートが得られたら、必ず、13C NMR、その他、多核NMRまで測定しておく。
2)既知データの利用
スペクトルの帰属に困った時、以下の既知データは必ずチェックするようにしてください。
A. 有機化合物のスペクトルデータベース(産総研が無料で提供しているもの)
リンク先で【免責事項に同意したうえでSDBSを利用する】のボタンをクリックすればOK。
B. NMR中に現れる溶媒ピークに関する論文
- E. Hugo, K. Vadim, N. Abraham, J. Org. Chem. 1997, 62, 7512–7515.
- R. Gregory, M. Alexander, H. Nathaniel, E. Hugo, N. Abraham, M. Brian, E. John, I. Karen, Organometallics 2010, 29, 2176–2179.
- R. Nicholas, O. Elizabeth, T. Gregory, C. Belgin, C. Nakyen, C. Lawrence, V. Carl, M. Nicole, L. Peter, A. James, L. Fangzheng, A. Beth, M. Benjamin, J. Sarah, R. Michelle, Y. Qiang, Org. Process Res. Dev. 2016, 20, 661–667.
- E. Hugo, G. Grazyna, G. Graham, N. Abraham, P. David, Q. Yanqiu, E. Leanna, F. Helen, J. Richard, Green Chem. 2016,18, 3867-3878.
【おわりに】
シャーロック・ホームズが、推理力で依頼人や犯人の人物像を描き出すように、NMRのチャートから、推理力を駆使して、分子の構造や反応の様子を描き出すことができるかどうかは、有機化学の研究をする上で必須とも言える力です。学科を見渡して、この力が必要とされ、身につく環境が整っているのは、当研究室だけということができます。(あくまでも学科の中ではというだけで、他学部・他大学の有機化学の研究室なら当たり前の力なのですが、それでも、やはり価値があります。)ただ、論文に書いてある通りの反応を行って、目的物が得られたかどうかを判定するのであれば、既知のケミカルシフトと照らし合わせるだけで良いでしょう。最近では、Chem Drawに分子構造を入れるとケミカルシフトが出てきますから、NMRを、ただ、照らし合わせるだけにしか利用せず、NMRを研究に使っていると錯覚している学生が多いように感じます。しかし、だからこそ、NMRにおける『推理力』は、みなさんの武器になり得ます。他の研究室の人よりも、一枚も二枚も“うわて”な『推理力』を身に付け、アピールすることで、就職においても、就職後においても、みなさんの価値を高め、みなさんを守ることになるでしょう。
さあ、これからいよいよ実験がはじまります。NMRを測定したら、すべてのピークを帰属できるところまで考え抜くことが、『推理力』をつける一番の近道になります。沢山のスペクトルを解析して、沢山の経験を積みましょう。分からない時は、友と語り合いましょう。そして、ワクワクしながらNMRを測定できるくらい、スペクトルがよく分かるようになりましょう。
そうすれば実験が楽しいぞ〜!ホンマに。