研究を始める前に読むこと

研究を始める前に、まず「研究のスキーマ」を理解してくださると良いと思います。研究室が「創造的」であるために、以下の2つのポイントを意識してください。

  1. Cloudを楽しみ、乗り越えるために研究室の仲間がいる。
  2. Yes, and ~ で創造性にブレーキをかけない。

上記の2点は、Uri AlonのTED Talkで語られています。
研究を始める前に、必ず観るようにしてください。

なお、研究に行き詰まった時など、時々、これを見返すようにしてくださるようにお願いします。

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みなさんは、大変貴重な研究室のメンバーです。
研究室の価値は、「CLOUD」(=既知と未知の境界)でもがき苦しむ仲間を支え、創造力で乗り越える手助けをするところにあり、みなさんは、どうやって仲間を支え、また仲間に支えられるかの基本的なルールを、まずは理解する必要があります。

そのためには、まず、「創造的な研究」のスキーマを理解しなくてはいけません。研究をスタートする際は、既知のスタート地点(S)から、おそらくできるであろうと期待されるゴール地点(G)を目指してスタートします。しかし、往々にして、しばらくすると、なかなかGに近づけず、それどころか、なにがなんだか分からない状態(= CLOUD)に迷い込んでしまいます。

この時が踏ん張りどころです。仮説を立て、実験を繰り返していくうちに、新しいゴール地点(G’)が見えて来たらしめたものです。これが、『既知』から『未知』へと踏み出した瞬間です。そして、苦労に苦労を重ねて、雲の中をくぐり抜けた先に、真に創造的な研究の成果であるG’へとたどり着くことになります。もしかすると、G’’’’かもしれません。

もちろん、論文としては、常に、S→Gという形で発表されますので、研究とは、「頭脳明晰な研究者が、美しい切り口の実験で、新発見を成し遂げ、証明するものだ」と誤解されがちですが、それは誤解です。そうしたスキーマを持っていると、認知的不協和に悩まされることになりかねません。

もし、みなさんがCLOUDに迷い込んだなら、それは、あなたが無能だからではないのです。みなさんが、今、まさに『未知』と『既知』の境界線に到達した証なのです。

ですから、研究をスタートする際に、『既知』と『未知』の境界には、必ずCLOUDが存在しており、そこをくぐり抜けることこそが『創造的な研究』なのだ、というスキーマを持って下さい。そうすれば、認知的不協和に悩まされること無く、CLOUDを楽しむことができます。G’は、常にGよりも面白い。そして、G’は、Gよりも常に重要なのです。G’にたどり着くために、CLOUDは必要不可欠なものなのです。

そして、このCLOUDを楽しみ、くぐり抜けることを可能にするのが「研究室の連帯の力」ということになります。一人でCLOUDをくぐり抜けることが難しくても、仲間と一緒に議論することで、五里霧中の状況をエンジョイできる。「Enjoy Chemistry!」こそが、みなさんが作り上げる研究室の価値とも言えるのです。

なにしろ、『未知』の領域を進むのですから、「創造的な」議論が肝要です。そして、創造的な議論にはコツがあります。それは「Yes, and ~」で議論することです。研究室の誰かが、とんでもないことを言った時、その仮説や提案をまず受入れて、さらにおまけをつけて返すのです。

No Blocking! これが、常識から抜け出して、創造性を発揮する議論には必要です。「それは難しそうだから止めておけ」とか、「そんなことあり得ない」なんていうしたり顔のアドバイスは、創造力の妨げにしかなりません。逆に、どうしたら簡単にできるのか?どういう仮説を立てれば、あり得ないことが起こりうるのか?を考えるのです。

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おまけ(ゼミのディスカッションについて)
上手く行かない時、上手く行かない理由を考えて安心したい気持ちは良くわかります。しかし、どうにかして上手く行くようにしようと考えるほうがよほど「創造的」です。前者は評論家、後者は研究者、ということもできるでしょう。
誰かの研究発表を聞いて、「なぜ?」や「どうして?」と意見を聞いたり、あるいは、実験方法や仮説を批判するだけでは創造的とは言えません。もちろん、研究室に入ったばかりの新4年生であれば、評論するだけでも立派なもので、それでかまわないのですが、先輩は、一歩進んで、研究者の視点に立って、「私はむしろこう考えるのだけれど、あなたはどう考えているのか?」と自分の仮説を述べることや、「私ならば、こういう方法で実験する」というように、自分なりの解決策を示すようにすると、創造性にあふれる有意義なゼミになるかと思います。
自分たちの研究を育てあげ、完成させるのは、自分たちしかいません。みなさんが、「評論家でいるかぎり、なにも前に進まない、自分が、目の前の問題を解決するのだ!」と意識してくださることが肝要です。

 

おまけその2(頭のいい人が研究者を目指すより、頭がわるい人がアプローチ法を学ぶほうが近道なんではなからうか?)
自分が学生時代、自分には科学の才はそれほどないが、文章を読んだり書いたりするのは好きであるので、大学で科学を学んだのち、寺田寅彦のやうにでもなりたいものだと考えていた頭の悪い私ですが、敬愛する寺田寅彦氏の文章(科学者とあたま)を読むと、存外、そんな頭の悪さが幸いしたような気がしてなりません。
諸君は、研究を始めるにあたって、頭の良い人にならうとする必要はなく、むしろ、アホこれ幸いと、言われたテーマをやってみればよからうと思います。テーマを出す方も、アホであるから、思いがけない結果が得られる可能性があるのです。ただ、その思いがけない発見の前にはCloudがあって、それを、みんなの「阿呆力」で突破するというのが、研究のスキーマなんであろうと思います。
もしも、自分が賢いのではないか?そんな実験やめといたほうが良いのではないか?先生の言っていることって、無駄なんではないか?って思ったら、今一度、「科学者とあたま」を読んでください。

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