質疑応答がきちんとできるってどうすれば良いのでしょうか?
一般論ではないと思いますが、はずれ値人間の私の考えをまとめておきます。
質疑応答がしっかりしている人=頭の回転が速く、その場で対応して適切な回答をすることができる人
と考えがちですが、私は違うと考えています。
確かに、世の中には、頭の回転が速い人もいますし、某元市長さんや私としたの名前が一部似ている有名人のYoutuberが論破していく様子なんかを見ると、頭が冴えている人だなあと思ったりしますので、勘違いしちゃう人は多いのではないでしょうか?そのため、普段から頭の回転が速くなるように鍛えれば、質疑応答の能力が向上するかと勘違いしますが、それは違うと私は思います。大学は研究機関であるのと同時に、教育機関です。少なくとも、私は、「Aさん、頭の回転を良くする訓練をしなさい」なんていう指導はできません。そもそも頭の回転を速くする訓練って何?ってことになりますし、その場の思いつきで質問に対する回答が得られるとも思えません。そして、私のような凡人には、頭の回転を鍛えろというのは無理な話かと思いますし、教員にもできないのに学生さんにいうんかい?という話になり、「頭の回転が速くなるように鍛える」というのは努力の方向が違う気がしています。そして、何より、学位審査や就職の面接で、質問者や面接官から、頭の回転の良さは求められていないのではないか?という気がしています。
では、質疑応答で何を審査されているのでしょうか???考えてみましょう。
1つは、就活の面接のように、志望者がどう思っているのか意見を求めている。
もう1つは「その質問について、考えたり、聞かれたりした経験値があるか?」ということかなと思います。
正直いいますと、学位審査において、他研究室の学生の研究分野においては、私はただの素人ですから、学生さんの主張が正解かどうかなんてわかりません。就職の面接官もすべての志望者の研究領域(しかも最先端)を理解しているとは思えませんので、正解を求めているわけではないと思います。つまり、何らかの意見をしっかり述べていれば、この学生さんはそういうことを考えた経験があるんだなと判断しますし、しどろもどろしていたら、考えたことないな?と判断するのではないでしょうか?つまり、正解・不正解ではなくて、研究に関してどう向き合ったかの経験の有無を問われていると考えます。
そして、頭の回転のような「能力」とは異なり、普段から意識してディスカッションの機会をつくったり、論文を読んだり、勉強をすることで、私のような凡人であっても確実に「その質問について、考えたり、聞かれたりした経験があるか?」という経験値を増やすことができます。 Youtuberや議会で論破している有名人は、頭の回転が速いってことではなくて、見えないところで努力していて、それに見合うだけ勉強して色々考えた経験があるんだと思います。
つまり、私の意見は
質疑応答がしっかりしている人=その質問について、考えたり、聞かれたりした経験がある人
です。
2024年は注目される選挙が多く、多くの政治家が討論する場面をよく報道で見かけました。そういった政治の討論や議会でのやりとりをみると理解しやすいかもしれません。政治家は個人の意見をはっきり言えないような立場にあるのかもしれませんし、問題が難しすぎて良い解決案がないのかもしれませんし、どの政策が本当に良いのかなんて私にはわかりません。
ただし、質問に対して、きっちりと回答する政治家に対しては、(頭いいなではなく)この人はちゃんとこういうことを考えたことがあるんだなと私はとらえました。また、ちゃんと回答しない人は、(頭悪いなではなく)考えたことないんだなと私はとらえていました。そういう視点で考えると、この政治家には国や自治体をまかせてよいなとか、まかせちゃあんやろという判断をしやすいかなと思います。それと学位審査や就職面接は一緒。自分の研究や就職について考えたりした経験があるかないか。その程度を問われていると考えると、合格基準に達しているかいないかの判断がつきやすいと感じます。
ですから、質疑応答がきちんとできるようにするには
・学会に参加して発表する。
・日常的にメンバーとディスカッションをする。
・自分でこれはなぜだろうと考える時間をつくる。
・論文を読んで調べてみる。
・自分の意見をゼミで述べてみて皆で議論する
・相手の主張は何かを考える
などなど、そういった自分の研究について考える機会を日頃から作ることが重要というのが私の意見です。
その際、自分の意見や回答が間違っているかもなんて思わないでください。学生で若く経験も浅いので失敗しても許されるのであると割り切ちゃってください。あくまでも、「経験を積む」ということが大切ですから、失敗したなと思っても良いんです。おかしかったとしても自分の意見を述べれたことはすごいことで、素晴らしい経験になります。議論とは人を蹴落とすことではありません。たとえ間違っていようが、そして自分の意見を述べた人が、自分の意見を述べない人に「馬鹿にされる筋合いはない」のではと思います。何がもっともらしい説なのか、悩みジグザグしながら、真理に近づいていけば良いのです。そうすれば、同じことを次に聞かれたとしたら、より良い回答をすることができるでしょう。
まとめると、
・学位審査における質疑応答は、特別研究に関する取り組み(どの程度自分の研究に向き合って考えた経験があるか?)を見られている(頭の回転が良いか悪いかを問われているわけではない)
・経験の有無で質疑応答に関する力の差がでるのは当たり前のこと(その場で、頭の回転だけで対応しても無理)
・経験は急に増やすことはできないので、普段からの取り組みと積み重ねが重要
・経験を増やすと考えると、質疑応答で失敗したって思っても何の問題もない
ということでしょうか?
質疑応答をちゃんとするには???
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